「取り巻き」という名の“壁”

「取り巻き」という存在。

知らず知らずのうちに、あなたの周りにそういう
人達が存在していないだろうか?
知らず知らずのうちに、あなたは、誰かの
「取り巻きの一人」になっていないだろうか?
「取り巻」かれるのは、その「取り巻」かれる人に
とって、本当に幸せな事なのだろうか?

私は最近思う事がある。
素晴らしい思想があったり、素晴らしい活動をしていたり、人から尊敬される人は
とても魅力的だ。
当然、交流し、その人から学び、協力し合って何か役に立てたり、良い刺激を貰い、
こちらからも与えられる有効な関係を築きたいと思う。

ただ、その人の周りに「○○さん、素晴らしい!」「○○さん、さすがです!」と常に
その人を褒め称え、その人主催の何かがあると「お会いできるなんて感激です!」と
口々にその人を崇める様な人達が集まり、そのノリに合わせなければそのコミュニティに
いられない様な空気が醸し出されると、結局、そこでその人から足が遠のいてしまう。

今はSNS時代で、また現在コロナ禍という状況でもあり、LINEのグループチャットや
Facebook、Twitterなど、電話や直接会って話す以外の簡単な文字でのコミュニケー
ションが、人との交流の形のメインとなっている。
会議や講演会、イベント的に開催する集まりではZoomなどの対面型で話す事もあるが、
親しい間柄でないと、1対1の対話にはならない。

そうすると、大抵「集団内対話」といった形になる場面は多い。
特に、活発な活動で少し顔の広くなっている人を中心に集まったグループなどは、
すぐに周りに人が集まり、そこに「集団」が出来る。

そこで「さすがです!」「凄いです!」「尊敬してます!」「○○さん素晴らしい!」
「他の人には真似できないです」「キャー、お会いできるなんて感激!」といった
ノリの人達がその人を囲みめいめいに話をしだすと、その人は一人の個人や活動家
というより、アイドルであるかの様にこちらを錯覚させ、周囲の人も、結束の固い
ファンクラブであるかの様に見えてしまう。

その「ファンクラブ化」した周囲の「取り巻き」はその人を囲む壁となり、その人
と普通に対話し、対等に交流をしたかった人にとって、その人は取り巻きの壁に阻まれ
手の届かない存在となってしまう。それまで数回交流があっても。

また更に、その人が取り巻きに乗っかって気持ちよくなっている素振りを見てしまうと
途端に白けた気持ちになってしまい、アイドル化したその人への興味すらも失ってしまう。

ただ、本人は本当にそれでよかったのだろうか。
本当に、自分の周りにただ自分を持ち上げるだけの取り巻きがどんどん増える事を
望んでいたのだろうか。
そのために、活動していたのだろうか。

アイドル化してしまった時点では、既に見失ってしまっているかもしれないが、
本当は、有名人になってもてはやされることが目的だったのではなく、工夫を
重ねた表現で自分の声が世の中に届くようにと、真摯に活動を行ってきただろうし、
同じ思いの人と共感したり、特に自分びいきな人とだけではなく、色々な人と
対等に意見交換もしたかっただろう。

「取り巻き」という、自分を取り囲み気持ちの良い言葉を投げかける分厚い壁の存在で
その人は、その外界にいる多くの人達との対等なコミュニケーションの機会をかなり
失ってしまっていると思う。

本人が名指しで声をかけなければ、誠意をもって直接、対等に話をしてくれる存在にも
なかなか会えない。なぜなら、常におそばにいたいファンクラブである「取り巻き」が、
防衛しているから。

その状態になってしまうと、その人に近づくには、同じ様に「○○さん凄い!」「○○さん
素敵!」などと言ってその人の取り巻きになるか、有名人や権威のある人であれば名指しで
対話もできるのかもしれない。

しかし、普通に対等に意見交換や交流がしたかっただけの人は、わざわざそんな空々しい
大げさな事までしたくない。

つまり、「取り巻きの壁」に取り巻かれた人は、多くの「本来対等に交流の出来た相手」を
遠ざけてしまうのだ。

人は人に喜ばれようと思って褒める。がしかし、その人の魅力を見つけてそれを褒める事と
「ほめそやす事」は違う。
相手を持ち上げて気持ち良くして崇めたてまつり、神様かアイドルかのように扱う…それは
ある意味、気づかないところでその人の尊厳をないがしろにしているのではないか、という
気すらしている。
その人自身ですら、気づかないうちに。

私はこの現象をあまり快く思っていないし、自分もそういう空気の中に巻き込まれたくない。

取り巻きは恐ろしいし、仮に自分だったとしても、取り巻きなどほしくない。

取り巻きが出来るとちやほやされるうち真の自分を見失い、周囲からも、真の自分が見えなく
なるにとどまらず、その姿が取り巻きの存在で無駄に歪められてしまったりもする。

ただ、そんな懸念に関わらず、どこへ行ってもすぐにこの「取り巻き」の壁にぶつかるのだ。

魅力的なリーダーが中心になっている、せっかく素敵なテーマのコミュニティだと思っても、
蓋を開けると、「キャー!」「凄い!」と崇める「取り巻き」による、アイドルか新興宗教の
様な世界が繰り広げられる。

「杜子春」の話にある様に、人を都合よく持ち上げる人達は、自分達の都合が悪くなれば、
持ち上げた分、あっけなく手を放す。そもそも誰かを持ち上げる必要などないのだから、
この場合、皆に手の平を返されて下に落ちるのも、仕方ないと言えば仕方のない事なのだ。

私はそういう世界はうんざりだ。
元々「上意下達」や「忖度」などがある、上下社会、序列社会も大嫌いだし。

私は、コミュニティを作るにしても、対等でなければ嫌だし、リーダーはあくまで
責任ある役割で、持ち上げられる存在ではないと考えている。特別、上下もないと。

また、私の好きなコミュニティのリーダーは、皆そろって腰が低い。
皆、謙虚で腰が低く、周囲に持ち上げられていい気になる人はいない。

…まぁ、今回も鼻息荒く、個人的な見解と自身の好みに終始したけれど、
このブログ内という事で許してもらおうと思う。

過去のブログを振り返り、今なぜこんな硬い文章を書いているのか不思議でしょうがない💦
でも、これが自分の中に多面性を持つ、私という人間だからしゃーない!おわり!

 

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